art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

転じました。

rubenjuri2010-08-03

画像は、コーチャン紅茶。
ウーチャンウーロン茶と、プーちゃん緑茶があります。全部可愛い。


あーしるぶぷれっ。
つくづく、離婚してよかった。しんどい思いして10年かかってでもしておいてホント、よかった。
ホントそれ。
しるぶぷれ。



今日はサプライズな電話がありました。
離婚するにあたって身の振り方でも考えようかと思った矢先に頭を掴んでくださった会社に、離婚後すぐに就職したのですが、その店のチーフからでした。
「Sさんが骨折したのよ。一ヶ月くらいでいいんだけど、ヘルプで戻らない?」
大先輩Sさんの代わりなんて勤まるわけもないので、本当に人材に困っているのだろうとは思いましたが、物理的に無理だったので、お断りはしたのですが、本当に本当に嬉しかったです。
セガレと一緒に住み始めたことや、相変わらずMCとアパレルと飲食で働いているってことや、また、ご飯でも行きましょうとか、話しました。
タカラジェンヌのタニマチの皆様も多くいらっしゃるアパレル店舗。まぶしいくらいの職場でした。本当に勉強になりました。
その頃は、仕事ハネて、どろどろなスッピン以下状態で電車に駆け込み、絶対に休まずに週1でバンドの練習に通いました。一生で一番、楽しい時間だったように思います。遅刻でしたが、それでも、休みたくはありませんでした。メンバーの顔が絶対に見たかったです。完全に練習には参加できないってわかってる時でも、終わってスタジオの外で話しているみんなに、一瞬、会いに行きました。素晴らしいあの頃でした。
どろどろなスッピン以下でも、なんか、ハリがあったんだろうと思います。
今は・・・。
今ですかぁ。
肌なんだよ。違いは、肌。


昼間にどんなにののしり合っても、パパはママを抱き続けました。
ママの美は、それで成り立っていました。
肌。とにかく、そんな女の肌は違う。
ママは未亡人になっても、その蜜の余韻にまみれているのだと思います。
とんでもない男でした。や、姉と兄情報ですが。それでも、ママだけを愛するって部分では凄まじいものでした。
ママに更年期障害は自他ともに確認できませんでした。月のものも、驚くほど長く、ありました。兄弟3人で「ヤバイ化けもんだ」と言ったものでした。
兄はその限りではありませんでしたが、私と姉は、時折、その化け物ぶりに辟易としました。恩師たちが夢中になっていたり、誰あろうBFたちまでが注目したり。今でこそ言わないのですが、ちびちびセガレも、「ママが一番美人。Tシャツの(プリントの)外人の女の人みたい。」と、言っていました。甥も、「アメリカン・コミックの女子みたいだよな。」と言いました。
大好きだけど、やな感じ。同性ならではの、感情。
嘉事氏が、ママの文章を読んで、言いました。
「ママには思想も哲学も宗教も要らんのや。その存在が凄いのや。お前は、幼少からのその思想傾向で哲学を掘り下げようとした。そうしようとした時点で、負けとるのや。」
負けは知ってたし、勝ちたくもないのだけれど、こともあろうに文章で。
なんだか、ここ半月、鏡を見るのもイヤで、確かに数子的にもなのだろうけど、誕生日辺りから照射される言動が辛く、もう、限界だなぁ、と。
そんな時、全然関係ないけど、「失礼ですが、マスターの奥さん?」と、キーラーゴで訊かれたのが、極めつけ。こんな時じゃなかったらショックも受けないのだけれど、たんまーに、「彼女、マスターの娘さん?」なんてのはあっただけに、嗚呼、このまま一番行きたくなかったところにまっしぐらだなぁ、って。
徐々に、肌が、毎日、ちょっとずつ、辛い感じになっていきました。
職場は鏡だらけ。いつもはそんな環境が大好きなのに。ここ半月ったら。
例えば、IKKOさんの美は、伝道師としてのそれももちろんだけれど、彼氏とのいい恋愛からも作られています。
実験しよう。
ちょうど昨日で一ヶ月。どこまでいけるか。イチャこかないで肌を再生できるものなのか。
無理か?
頑張ろう。
頑張れる気がしないが、ここ半月、本当に真剣に悩んだのだ。やってみよう。
佐伯チズさん?の、あの方法も、真剣に考えました。いつもの化粧水でいいっていうけど、それが高いんじゃんか。だからって、いつものじゃない化粧水になんてできないし。
あー。巷の主婦はいつもこんな事をあーでもないこーでもないって、とびついているのか。今までUVケアさえした事なかったから、本当に辛いわ。慣れないし、慣れたくもない。でも、やってみよう。
お金、ちょっとだけだけど、かけるからには、元取る。
実験だ。