art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

エモーション

rubenjuri2009-01-17

ママに電話でなじられて電話を投げ嗚咽の朝。


「juriがあんな事になったのは、姉さんのせいだからな。」
昔、叔父に、そう言われた直後のママを思い出す。
姉が、懇々と、解く。
「アンタがこんなんだから、ママが叱られた。」
“あんな事”って、どんな事だよ。“こんなん”って、どんなんだよ。



トボトボとシオシオと出発の朝。



IKEAで午前中遊んで、午後からはたーっぷり、県美(県立美術館)で、丸々一日、いっぱい遊びましたっ。
本当に楽しかった。
「お芝居観たい」「歌舞伎観たい」普段商売でほったらかしの末っ子のリクエストは、絶対にサラリと叶えてくれたママ。中でも、幼少期は、「美術館(○○展)行きたい」が一番多かったけれど、いつもすんなり連れてってくれました。美術館といえば、ママとでした。
京都に進学してからは、逆に、行かなくなって、セガレが幼少期に同じ感じで私に「連れてけ」と言うようになったので、驚きながら、行くくらいでした。一番最近行ったのは、Rinkoさんに誘われて連れてっていただいた、草間弥生展(於:京都)。
あーホント今日は楽しかった。今までで一番楽しかったです。安全で、居場所があって、何より美術館の空気・作品の空気が懐かしくて澄んでいて。
幸せです。
ずっと、ずっと、安全な居場所では、深呼吸。
携帯電話はサイレントのまま、7時から11時まで眠りました。
覚醒し、深夜の数時間は風呂で過ごし、午前中に兄の彼女から「神戸にとっての特別な日だから」と、もらっていたメールにゆっくり返信し、一日の全てを終えてゆっくりし始めた時、セガレから着信。
2時間の長電話をしました。
「実は未だに、歩いてて誰かの個展やってたら、一人だったら、入るで。」
セガレが言いました。
親子です。
でも、私はママほど、セガレに本物を見せてやってないような気がします(何を以てして本物というのかはわかりませんし、ママは私のリクエストに応えてくれてただけで、何の考えもない人ですが。)。
“ほんまち創人村”のスタッフをやっていた頃は、セガレもよく出入りしていました。此処の作家連中に可愛がられて、東山アトリエに自分のダンボール・アートを置いてもらったりしていました。
大切な人と3人で、日本中の美術館、世界中の美術館の作品と空気を、安全に、深呼吸しながら、観て回れたらどんなにいいだろう。
セ:「オラなぁ、未だに治らへんねん、戦う妄想癖。」
j:「未だにって、そんなの治らへんわ。かーさんの妄想癖なんかどないなるねん。」
カプセルの中は、やっぱり、吹き荒れているのでしょう。



高校の頃、10コ上の姉が言いました。
「不自然な苦しい体勢の作品が殆どだと思って観てご覧。面白いよ。ロダンの『考える人』とか、あんな体勢で考えられるか!みたいな。」
『小椅子の聖母』が思い浮かびました。
「例えば、『小椅子の聖母』とか。」
姉も言いました。
今日も、そんな作品をそこ、ここに観る事ができました。



今。
鼻先で、アナタを感じています。
今は、変に深呼吸しないように、くゆらしています。
もうすぐ、朝、かな。