art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

危うい快楽

rubenjuri2008-11-01

 口笛で呼ばれて振り向いたら、umeが立っていました。
 完全に上下関係が逆転している監督と助監。
 なんで、なんで口笛で振り向いたんだオレ!
 juriです、こんばんは。


 いいえ、正しい上下関係とも言えます。
 なぜなら、場所は店だったからです。
 季節錯誤な丸め方をしたバカumeは、かねてから狙っていたニット帽を買いに来たのでした。
 u:「アレ、いただくわ。」
 j:「申し訳ございませんお客様。先頃、売れてしまいまして・・・。」
 いつもながらの茶番劇を一寸だけ展開し、いっそがしいので、「いにさらせお客様」と追い出しました。


 
 しばらくてんてこ舞いで労働していたら、umeからの餃子指令発令。
 店の外から餃子を掲げて見せ、本日の売価を口パクで示し、
 「お前も買えよ。」と、去っていきました。


 人生2度目の、umeからの餃子指令。
 閉店後、うたたんと買いに行きました。
 ありがと可愛いおりこーちゃん。



 健全な喜びとは言えないな。
 完全にバブルのつけ。
 普通、バブルのつけという言葉は、バブルの恩恵に与った人に使うもの。
 一切、バブルの恩恵などには与っていないというのに。
 否。或は、バブルの売り手市場のど真ん中で採用されたという点では、恩恵に与っているのか。
 その代わり、そんな時代の流通の勘違いを味わってしまったものだから、今日みたいに、お金を落とす気満々の人々をターゲットに、トルソー・プレゼンしてみたり、その瞬間からそれが爆売したりするのを味わったりして、至福に身もだえる今日の己の有様が在るのである。
 そして、そういう日に、そういう繁忙の日にこそ、接客がモノを言う。
 コアな接客は、こういう日にこそ叶うのである。
 嗚呼。
 生きている。
 しかし、これは束の間の幻だと思うべきだろう。
 量販が流通を引っ張っている以上、間違いなのであろうから。
 どこへ行く?
 人々は、どこへいくのか。
 己は、労働の喜びを、こんな風にしか、味わえなくなってしまったのだろうか。


 それにしても幸せだった。
 クタクタです。


 画像は、昨日の「さんでぃ一周年記念パーティ」での、Nyaguar氏の姿。
 さんでぃ軽音楽部のステージから。