art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

ミッシェル・ポルナレフは・・・。

rubenjuri2008-07-30

 9時半に寝て、4時前に起きました、juriです、おはよござます。
 よくわかんないけど、セガレの最後の試合に連れてってくれた子の息子っちも試合に出るのだとばかり思っていたら、違うようで、会場に着いても、ママンたちがいっぱい居たけど、セガレを応援しにきてくれているってな感じも多く、今更発表しなくたって周知なんでしょうが、ワタクシ、ソータイとか、県大会とか、ルールとか、よくわかんなくて、会場では恐縮しッパで、でも今に始まった事じゃないので、「まーほんとにjuriちゃんは何にもしらないんだからぁ」的な温かいムードで迎えてくれました。
 セガレの後輩も、私の事を「juriちゃん」と呼んでいる事が判明。ママンたちが家でもそう呼んでいるからだ。「今日もjuriちゃんは来てなかったで」と、それぞれの親に報告しては、食卓の話題に上っているのだ。そのくせ私の前では真っ黒い顔に白い歯を見せて笑顔で会釈するくせに。中坊めー。
 「juriちゃんありがとう。アンタは知らんと思うけど、強い先輩のラケットを受け継ぐのが風習やねん。早いもん勝ち。で、うちの子、いただいてんよ。もの凄く、快くくれてんて。これで一寸はあやかれるなぁ、って、家でも喜んでんねんよ。今日の試合は入部の時に使ってたやつを、ガット(?でしたっけ?)を張り替えて使うから、大丈夫やって、ゆーてくれてんて。ホンマに可愛がってくれて、映画とかにも連れてってくれたんやで。知らんと思うけどな。」
 運転しながら、色々、教えてくれました。
 多分、県全体の試合だったようで(多分てー)、なんか、太子中とか垂水中とか、全然離れた地域の選手とかの子らがしゃべりに来ては談笑している場面もいっぱい見ました。そういえば、7人に選ばれた時は、7人中、半分以上が垂水中の子だったような気がします。オレンジ色がただひとりだけで、見ていて不憫な気がして憶えています。
 それにしても、セガレの試合は眠い。声も一切出さないから、ルールも何もわかんない人間にとったら、何の面白みもありません。何度ウトウトしたか。
 「あの淡々とした感じで勝ち進んでいく姿に、母たちはヤラレとるんやないのー。」
 ・・・そーですか。
 「ふーん。なんかさー。根性から叩き直してくれる道場とかに入れたい感じだけどね。」
 「アンタばかやなー。根性ないと思ってんの?」
 でもね、楽しそうに声出してやってる子の試合は見ていてやっぱり気持ちがいいし、応援したくなるし、ガッツポーズもカッコいいじゃんか。
 ま、3回しか観に来てないけどね。
 結果は、1セット目はとり、2セット目はとられ、3セット目はとり、4セット目はとられ、5セット目はとり、6セット目はとられ、で、7セット目で負けました。


 「えーーーーー?」
 マジ?
 ママンたち、泣く。
 部長のツッチーのママン:「ほんと、感謝してる。ありがとう。ありがとう。」
 いやーん。もらい泣き。うっそーん。
 「いっつも迷惑かけて、それでも助けてくれて、ほんとにありがとう。感謝してる。」
 ま、待って。私に言われても。何故?何故、嗚咽してるんだ?私。
 着信。ママからだ。今、この状態でママからの電話には出られません。スマソ。
 セガレの事、何にも知らないのに、何故、涙が出るんだ?今の試合も、解説してもらいながらじゃなきゃわかんなかったのに?
 「やっぱり県の壁は高いねー。」
 口々に、一部のママンたちは散って行きました。
 顧問の先生と副顧問の先生にご挨拶。
 「最後にお役に立てませず、スミマセン。いつもお任せしっ放しで、怪我した時も、本当にお世話になって・・・。」
 なんでや!なんでまた泣くんや!バカ親のくせに!!
 もう、あとは、ただ、ただ、3人で深々とお辞儀を繰り返す。


 画像は、無数にあるテニスコートから遥か離れたところで、いつまでもいつまでも顧問の話を微動だにせず聴いている、オレンジな奴ら。
 「キャップの向きが全員先生に向いてて、ペンギンのコロニーみたい。男って、バカねー。」
 「オマエがバカや!」
 最後にママンたちにツッコまれて解散しました。
 ママがあとでまた電話をくれたので、報告もしました。
 ミッシェル・ポルナレフは、UV対策もしていたのに、汗で流れ落ちたのか、全身日焼けしました。やっぱりケチらないでアルビオンのクリームにしておけばよかった。今日使わないでいつ使う。