art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

生活

rubenjuri2008-07-04

 月に一度の自治会のミッションを、ここ数日でやっつけようとしている。
 今日は、久しぶりの完全オフ。
 引きこもりに大成功。
 それでも、同じフロアは回らなきゃならない。


 とても疲れていた。
 取り戻すかのように、ただ、ただ、眠る。
 嗚呼、なんて幸せでしょう。気持ちよ過ぎる。
 はた、と、気づく。
 今、なんという格好を?
 これは、究極。
 うつ伏して、左腕でニョロを抱き、右手の中に魚。
 嗚呼、この絵、真上から撮りたい。
 このシュールなうつ伏せ大の字を、静止画でよいから、撮りたい。
 さ。
 起きよう。
 夕方4時半、juriです、おはようございます。


 昨夜は・・・ってか、最近、また、歩きながらでも眠れそうな状態になっていて、「今ならメンデルスゾーンの最期の言葉を感情込めて言えるぜ」的な心境でした。そういう時の購買意欲は病的で、しかし無い袖は振れぬという点からは、たかが知れている訳ですが、まんまと店の思うつぼ的にお金を落として行く鵜、ならぬ、カモ。メンデルスゾーン童話作家アンデルセンと奪い合ったソプラノ歌手が、美しいハイトーンボイスで高笑いにあざ笑うのであった。


 怠けたいという思いは、私が生活している証拠で、セガレと暮らせないこの日々を受け入れているに他ならないって、薄々、感づいております。我武者羅にただ、ただ、働いていた二度目の店長時代は、そんな気持ちには一切なりませんでした。そして、自分が壊れてしまいました。
 しかし、あの日々があったからこそ、もう一度セガレと離れて暮らす事になった現在を、受け入れる事が出来ているのかもしれません。
 いい意味で、キーポンはしないと、ね。
 そして、怠けたいという思いは、今の私にはとても大切な思いで、前進しようとしているという事なのです。
 to do memo の箇条書きにひとつ、加えられた、この思い。
 ニーズに応えるというよりは、ターゲットを絞る。セレクトで置く。そこに、飲食(お金を取る取らないに関わらず)は欠かせない。と、いう事である。そういう時代は、いつか必ず来ると、昔から思っていたけれど、もう、遠くないだろう。
 怠けたいという思いは、流通の今に対する、ささやかな抵抗かもね。
 まっ、ただ怠けたいって、本来の意味も、もちろん、含まれているぜっ。