art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

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rubenjuri2008-03-03

 このところ、中学時代のクラスメイトからの着信が相次いでいて、そのタイミングも、あまり良くないというか、内容もわかっているから、折り返さないというか、悪いな、とは、思っているのだけれど。
 晃一が召されて、もう居ないって事を、実感する必要は、果たしてあるのか、どうか。
 皆の気持ち・配慮はとっても有難いのですけれど。
 Yからのメールには、「俺は金曜に一人で行ってきたけど、後の皆は昨日全員で行ってるはず。遺影を見たら、あの頃に戻る。」と。
 本当は、兄貴が居ない事さえ、わかってないかも知れない。
 ママが、「無理だ」と言って、兄の遺影もろとも、父のも祖父母のも仕舞ってしまってくれたから、帰省して遺影見て驚く事もないし。
 居たって、居なくたって、同じ。
 マチュピチュの高みに立つ事なんて一生できないかも知れないけれど、己の現身なんて、元々、透けてるんだから、マチュピチュだって大陸だって列島だってどこだってstand still...追わない、追える筈もない。
 朝、10時。
 「行ってきたんだけど、皆、珍しく、かなり落ち込んでしまって、で、アンタの都合も訊かないで悪かったけど、同窓会、するから。」
 「そっか・・・。同窓会なんて何年ぶりかな。でも・・・、仕事だな、その日。」
 「ああ。えっと、でも、なんとか。」
 「うん。そうだね。なんとか出来るか、考えてはみるけど。」
 きっと、皆の顔見たら、いいのだろうけれどね。
 行こっか、どうしよっかな。
 今んとこ、行かない感じかな。
 まだ、わかんない。
 卒業してそれぞれの高校行っても仲良かったから、高2の時にノーチが逝っちゃった時は、しょっちゅう皆で集まっては意味もなく寄り添って、一人居ない寂しさを紛らわしていたけれど、あの頃とは、違う。
 あーあ、皆、遺影見ちゃったから、あの頃に戻ってんじゃねーのぉ?


 いいんだけどさぁ。


 
 他の事で、ちょいとシオシオしていたから、や、もう大丈夫なんだけど(ほんとにマジで)、夜からずっとクナイプ風呂で求人チラシ眺めたりしても、頭に入らないし。
 先月のライヴってば、やってみて、一区切りがついたと納得した事があって、個人的な音楽についてのひとつの終わりと始まりだったのだけれど、始まったはいいけれど、いきなり怖くなりました。
 受け取ったキーワードの一個一個に、ちょっと、安心しているところです。
 合わせ鏡を見ている感じもあって、アーマーを、ガシャンって、外してみたりしました。
 また、すぐ、装着したいのだろうけれどね。


 故郷は、あの頃と全然違う。
 まず、見た目から、違う。帰った気が、しない。
 きっと、アーマーをいつでも装着できるようにズルズルと引きずって行かなきゃ、ならないだろうしね。
 一人で帰りたくないよ。
 車でも持ってりゃ、とっととカニのように退散できるんですがね。


 島根県民会館大ホールに、毎年LAZYが来て、小学生の頃、お姉さんお兄さん方にまぎれて、チビチビのくせに、3年4年5年生と三年間観に行きました。LAZYだったのかな、そうか、LAZYだったのか、全てのルーツは。みたいな、集約された、コアに聴き続けた、LPが、『宇宙船地球号』。無意識にいつも口ずさんでいたけれど、アレ、全部、このLP。スペクトラムとか、その辺りの曲だと勘違いしていたけれど。
 スージーなんて、全然フィーチャーしたつもりなかったけれど、人生で一番口ずさんできたギターソロは、スージーのだ。
 でも、charにも感じる事なのだけれど、スージーも、誰でも、大人になると、ギタープレイ姿が、座頭市を彷彿とさせるんです。大人が好きだけれど、唯一、それが不満。落ち着いてクールなのはいいのだけれど、チゲんだよな。チッチッチ。


 ま、こんなまとめでまとまりなく終わる。


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