生まれた時から、名前の中にこの字を持つ二人が側に居た。
祖父と兄。
二人共、もう居ないけれど、今回の三作目にかかり始めた頃から、兄が側に居るような気がしていた。
映画という表現に於いて、「やがて一つになる」と、サントラ制作者も言った。
兄だけじゃなく、照射をしてくれるマクロな加勢の下。
奇しくもこの文字が、「全てのものがひとつになって」という意味を持つのだなんて、知らなかった。
私の作る映像と言ノ葉たちを観て、サントラが作られるのじゃない。
“気”をお互いがピリピリと受け取って、辻褄が合致するのである。
今まで生きて来たのが、やり過ごして来たのじゃないって、いうこと。
粘膜が
細胞が
DNAが
始まりの、一滴。
その字のメッセージを運んでくださった挙マリアさんという人は、どんな方なのだろう。
言わせてください。
ありがとうございます。