art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

マルチカラー

rubenjuri2006-05-07

 自店のドラセナレインボーちゃん、五日間の待ちぼうけ。
 他店ヘルプばっかりしている間、どーせ誰も水やりしちゃいないんだろー、と、休憩時間に覗いてみたら、案の定でした。
 愉しみ遂行、癒されました。
 Macじゃわかんないのに、何故か持っていないWinでさくさくとポップを作る他店での私。
 「うちのヘルプの間に全部やってってね。」
 と、言われて、自店じゃ、それどころじゃなくて本部に頼むから絶対しない業務なんぞ、やっております。
 「私が居るうちに教えとくわ。」
 と、皆を集めるも、
 「ぅわ〜、その文字、ビヨ〜ンって、曲がるんだー。」
 とか言って可愛く喜んじゃって、覚える気、ナシ。
 「もー、しょうがないなー、印刷まで、ヤッちゃうよー。保存先はさー・・・云々。」
 って、まんまと随分先のポップまで作っちまう、オッサンな私。
 美女に囲まれ、鼻の下伸ばして、その気になって、いい気んなって。
 チヤホヤされるのは、良いものですが。
 それにしても、なんで、持ってないWinは触れて、“俺の白”とかっつって支配してる風な己のMacさんの使い方はからっきしわかんないのか。
 自己嫌悪。
 ・・・バカやろう。


 夜。
 唐十郎がTVに出ていた。
 大学時代に夏になると毎年ひとりで行っていた“状況劇場”を思い出すも、李麗仙との離婚以来、彼女の居ないテントには行く気になれず・・・。
 思えば、どんな娯楽も、いつもひとりきり。
 唯一、歌舞伎だけは兄貴に正しくシュールな観方を指南していただいたので、ふたりで行ったが、それももう叶わん。
 観たいものまで、“外して”いたのだ、lehuaネー様。
 唐十郎氏も、李麗仙氏も、ブラウン管で見かけると観るようにはしているけれど、テントのふたりが、やっぱり大好きだったなー。
 何のこっちゃわからん迫力。
 彼女が居ないので、食わず嫌いになっているだけだという事はわかっていて、今でも氏のテント芝居は、何のこっちゃわからん迫力なのだとは思いますが。
 昔々、ホームドラマで、李麗仙が家の階段を踏み外したり、ブクブクの美顔器に長い間顔を浸けッパだったりしたら、兄貴が「LEEスゲー、流石。」と言って、眉間に皺を寄せて感心していた。ワクワクして、私はブラウン管のあちらとこちらを見比べた。
 大学進学で、唐十郎の戯曲を兄貴に持たせられた。読み耽ったが、意味わかんねかった。
 何故か私は、十年以上経って、その本を不夢不無に差し上げた。


 うわー。
 なんか、
 コラージュ。
 何の作業?