art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

私は怒った

rubenjuri2017-09-11

今に始まった事ではなく、初めて同席した瞬間から長年、続いていることである。
ではあるが、「可哀想な恥ずかしい奴」とだけ思い、遣り過ごしてきた。
時にはフォローさえしてあげていた、さりげなくね。
「残念な奴だな。品格くらいはあれば少し救われるのに。」
と、不憫にもなっていた。


しかし。
仕事が関わる今回はシカツ問題。


そいつの仲間の奴に数年前に別件のソレを被り、私はあの通りから姿を消した。
その時はきっぱり。
それにさえもハイエナのようにタカり、貪る奴だ。


まぁ、それを今回、また思い出し、「まだわからんか?」と、自分に呆れ返るわけである。



また戻ったりしなければ仲良しになったあの子にも出会わずに済み、突然の別れを悲しまなくても済んだかもしれない。


もとい。
孤独な、地を這うような過酷な仕事だ。
奴には華やかに見えるのかもしれないが、とんでもない。
努力ももちろん日々している。
そして、努力の前には素質も絶対条件として要る。
奴には両方ない。
まさにハイエナだ。



例えば、何らかの理由で「ゆるくやる」と私が宣言したとしよう。
それは、決してゆるくはない。
しかしそれを奴にはわからないだろう。




品格さえあれば。



プライベートのことは「しらんがな」というスタンスを取ってきたが、実は日頃から思っていたことがある。
「昔なら。いや、きっと今でも、一歩下がって、身分を弁え、ただ愛し、支え、秘密は墓場まで持って行く、という品格のある愛人が居たし、居るはずだが、奴は到底程遠いな。」と。
大御所歌手のHYの筆頭愛人の綺麗な仕舞方を此処で9年前に記して感動を露わにしたことがあったが、その投稿を奴に読ませてやりたいものだ。



私は怒った。
言い訳をするが、だから、支離滅裂だ。



珍しいが、もう、奴に対してシャッターは開かない。
仏の顔も三度どころか、百度でも大丈夫ではあるが、1度閉めたら、決して開かない。



仕事でそれをされたら許さないよ。
私は本気で現場に立っている。
私が敬語を使い出したら仕舞いだからな。


エモーショナルな記し方しか出来ない私が、はっきり直接的に「怒った」と記したのだぞ。
仕舞いなんだ。



奴を筆頭に、みんな好きではない。
でもどうでもいいと思ってきた。
「自分を名前で呼ぶのはやめな」と誰にも言ってもらえないなんて、実は1人たりとも仲間はいないわけだし、
その集団のあれこれを見ていると気持ち悪くていたたまれない。


彼女もそうだったんだろうな。
おとーとの言う、初めて耳にする言葉、「マウンティング」という坩堝に嫌々ながら居なければならなかった彼女を思うと、
「そんな言葉知らなかったんだもん。」と、言い訳をしたくなる。


初めて耳にするとはいえ、意味は理解できる。
ただ、そんな横文字で「品格がない行為」にネーミングとは、どうなのか。



おとーと。
ありがとう。
しかし、かなりの気立ての悪さで定評のある姉は、マウンティング被害を受けたという意識は一切なく、悲しくもない。


怒ったのだ。


だから、
おとーとから昨夜、ドロドロに疲れているのだろうに救いのメールをくれたことでコテンと熟睡し、清々しく怒りながら起きたのだ。
おとーと、本当にありがとう。



誰も守ってはくれない。
私は私の誇り高き仕事を守るのだ。
「転がす」
という私とおとーとの用語は、神聖なワードなんだよ。



奴を許しません。