迎合せずに生きようとするならば
大いなる存在が巨木の佇まいで背後に居て
優しい照射で包みながら
肯定という大前提を心の底に実感することができる奇跡
或る程度の永きを生きてきた者ならば迎合という痛みはわかる。
迎合という屈辱感を力に換えられる誰かに涙を流す。
きっと
このままで終わるんじゃないぞ
と、願う。
パンチパーマの下町のオカンがおそらく
その存在が
偉大であればあるほど
子は強く
きっと
マクロな視野で
状況という一瞬の重なりを嘲笑できる日なんて
すぐに来るさ。
生きろ
頑張れ
堪えろ。
みないけど
かんじてるよ
きたいしてる
おおきくなったよ