art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

釈迦誕

rubenjuri2015-05-08

仕事としての最初は、創人村で別々に3人の作家からそれぞれの創作形態のモデルを頼まれた辺りからで、順番は前後して定かではない。

遡って。
高校生の頃にカメラマンを目指している中学の同級生、きんぱちに「モデルやって」と頼まれたのが最初だったと記憶していたが違った。
中2が最初だった。


ダッピが記事を投稿して(本日の画像もダッピ撮影分)、「写真部だった」的な事を書いているのを「へー」って感じでスルーしてたら、大野クンが記事へのコメントで「そう言えば珠里ちゃんをモデルに撮影会した」って。
「・・・あ。・・・あーーーー!思い出した。」
咄嗟にはそう思ったが、ふんわりし過ぎるうろ覚え。
でも、時間が経つにつれ、いろいろ思い出す。
大野クンが、
「イトジジ(顧問)がさりげなく質問をして考える珠里ちゃんの表情をパシャ!!(笑)子供心にこれが女性を落とすテクニックかと…(笑)以来、いろいろ試みたものの…勿論、成功したためしナシ(笑)」
って。
そうだった、イトジジに頼まれたのだった。そっか、写真部って、あったなぁ。私は吹奏楽部だったけど、自分の部活はどうしたんだろうか。
入浴中にどんどん思い出す。
そうだ、超恥ずかしかったんだった。男子に囲まれて、先生に質問されて本気で考えていたらシャッター切られて。
そうだ、これは記憶から消すという無意識的な誰にでもある才能を駆使したのだった。
そんなことまで思い出してしまった。
しかし
思い出してみると宝物だ。
それに、変わらない。同じことをしているんだなぁ。
当時はコンプレックスだらけだったことが、大人になって由とするようになると、自信にすり替えてって、転じて転じて転じて何と都合のいい。
ママもそうだ。
DNAは、パパ側、ママ側、両方継いだ。
見事に。
ダッピ、ありがとう。大野クンありがとう。アラッツ、ありがとう。
みんなのことは細かいことまで憶えているのに自分のことは都合良く忘れている。
でもいつか
DNAが思い出させてくれる。時代と、旧友と、仲間の力を借りて。


奇しくも
テレピ見てたらルーツの話。
次の番組では自分と向き合う話。
その中では、痴ほう介護の方のこと。別の方は、亡きご子息のこと。




女は強いな。
「生まれた時のことは私しか知らないじゃないですか。だから生きていくんです。」



どこかで聞いたことのある・・・。



己の懺悔はきっと終わらない。
細胞が変わるから人間は別人になるのだもの。
「チビチビの時、ごめんね。」ってセガレに言うのはナンセンス。
今のセガレに赦しを乞うことなど、無意味極まりない。
リアルタイムから1年か2年後、謝って抱き合ってふたりで号泣した。
それだけ。
今でもその気持ちのままの己に対して、セガレはどんどん別人になる。
ありがとうね。
ありがとうございます。
細胞を着替えてってくれて、ありがとうございます。
それだけで有り難いのです。
これからもよろしくお願いします。