アマギ隊員が初代マンのスーツアクターだったからウルトラマンのあの佇まいだったのであり、それが強烈に印象づけていたと思われますが。
歩き方を印象づけるカメラワークとそれに伴う役作りで再現するジョブズの佇まい。
萌え萌えのjuriです、こんばんは。
賛否あるが大変にご機嫌です。
幼馴染のタナカの記事を。
出雲大社(いずもおおやしろ)では、昨夜は神迎神事、今日は神在祭が催されます。
八百万(やおよろず)の神々が、ここ出雲の地に集まり人々の縁(えにし)についてお話をされる大切な行事が続きます。
昨日からの雨が降ったり止んだりの天気は、大遷宮の際に一時的に雨が止んだことと同じく、神々の行幸のためかもしれませんね。
神々がお渡りになる前に大地を雨で清め、お渡り後も清められるということが八百万繰り返される。
そんな想像をしながら空を見上げて、神話と自然の神秘を体験しています。
そんな日に、お出会いを致しました。
鏡を見ているような方と。
待つ安心感を抱くと共に、“打てば響く”を認らない私をもしかしたら待ってくださるのではないかしらという包容力。
そして前を向いていらっしゃるところ。
向きが正反対である人との違和感。
終わりに向けての集大成を綴ろうとする人と、これからを希望する人が一緒にいても、結局なにひとつ出来はしない。
とても悲しい6年間でした。
でもとても感謝しています。
言葉のひとつひとつが共感共鳴しました。
もちろん自分の中で。
それではいけないと努力して此処まで来たこともウソではなく、そんな自分を誇らしく思うも、その世界で居続けることには根底の違和感が拭えないのかもしれません。
居場所はもちろんどこにもありはしないけれど、同じ世界の人が何処かに何人かいらっしゃるのだという気持ちを以て由としました。
扉は開かない。
1ミリも。
でも
元の世界にも戻れない。
なにがあるのかわからないです。
これは、神在行幸の一環のほんの泡のようなお出会いのお導きかもしれないのですけれど、
実に6年も経っての、大遷宮の年のこの日のお出会いなのです。
赦していただけたのでしょうか。
それとも
気付きを促されているのでしょうか。
もう
知っているのに
素知らぬ顔で其処にいたことを優しく戒められているのでしょうか。
とても辛いけれど
世界の違いを
噛み締めて行動したいと思いました。