art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

とーしょーみぇ〜ん

rubenjuri2012-10-10

パニが来てくれたので、休憩時間にバミりました。
刀削麺食べたさに。
中華ちまきもつけました。
満腹。



めーみが、めーみの娘と、めーみの息子のお嫁ちゃんと、めーみの息子のお嫁ちゃんが産んだ4ヶ月の孫を連れて出勤。
即座に手を洗いに走る。
ずっとずっと赤ちゃんと見つめ合って語らっていました。
人間をひとりしか作っていないので、こんなにも素晴らしい宝物に触れると、罪悪感と対峙できるのです。
見つめられて微笑まれて見つめて微笑んで、それをお互いにずっとずっとしていると、いろんな意味でいろんな角度で不十分な不完全な己を識るのです。
至福。
「抱っこしてもらいー」
ずっとずっとふたりの世界に居たので、お嫁ちゃんがベビーカーから出して赤ちゃんを渡してくれました。
左のおっぱいに顔面をスリスリする、アレ、久しぶりにやってもらって、至福。
良い匂い。
躯の線に沿ってピッタリと自分の躯を密着させてもらって、一体化。
おでこなめの頬骨なめの角度で顔を見下ろす。
そう。
懐かしいなぁ。


「ひとつだけ方法があります。ふたり目を産むことです。や、もっと産むことですね。」
セガレが3歳の頃。
2歳半で母子共に泣く泣く断乳を無理やりにして、それでも湯水のように蛇口ひねる如く涌くおっぱいに母乳外来で受診したら、おっぱいを止める飲み薬を処方された。
どうしても服用する勇気が出ず、乳揉みさんを訪ねてった。奇しくも今の地元、横山まで電車に乗って。
「よかった!飲まなかったのですね!!これは捨ててください。40歳でリウマチになりますよ。」
嗚呼。授かるお乳を止めなくてよかった。
産院で13人のママのうち12人は授乳トレーニングで苦しむ中、ただひとりその逆、勢いよく出過ぎて赤ちゃんの吸うトレーニングにならないばかりかゴクンゴクンのペースが追いつかない早さと水圧で泣いてしまって泣き声がうがいになるという、看護師さんたちに「トラブルおっぱい」と言われていた我が両乳。毎日湧き過ぎて痛くて泣きながらツワブキで湿布を拵えてもらって両乳に貼っていただいていました。ツワブキの大きな葉っぱがブラジャーでした。

「貴女のおっぱいは大変よ。」
退院時に看護師さんがおっしゃったのは大当たりでした。
ママは、
「授かったおっぱいを無駄にする時は、お茶碗にまず出して、水道のお水を流しながら、ごめんなさいしながらお水と一緒に流しなさい。」
と、教えてくれました。
ほとんどは冷凍保存しました。自分でも飲みました。
世が世なら、長屋に看板出して、乳母をしたと思います。
いっぱい子守唄を夫と作ります。


罪悪感でいっぱいです。
卵はいっこしか使いませんでした。
素晴らしい宝物を産み、授かるお乳を長屋の子らに飲んでもらって子守り歌を歌って、健康な財産をたくさん世の中に送り出す人生が可能だったかもしれません。
横山の乳揉みさんに言われた「ただひとつの方法」をしなくてすみません。



2度、通いました。
「もう、キリがないので、来ないでください。私の言った方法しかありませんよ。」


ごめんなさい。
まだ、張るのです、おっぱい。
食べ過ぎるとたちまちです。
でも、
脳が、元ダンを拒否っていたので、その教えには従えませんでした。
罪深いことです。
2段ベッドを買って上段にいつも居て、梯子は上に上げて過ごしていたのです。
セガレだけの母親になって長かったので、大変に元ダンには悪い事をしました。


いろんな角度で
いろんな意味で
罪悪感炸裂の。
幸せないちにちでした。


赤ちゃんの名前がまた・・・また・・・ご他聞に漏れず・・・なんですよ。


いちごといい、可愛いチビチビが増えるのは有り難いです。
若いママはいっぱいです。
いちごの地域も少子化は何処へやらだそうです。



ただ・・・世界は広い。
私は罪と対峙し
過ぎた時を懺悔し



めばちこ治そうっと。