art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

布で顔を拭く

rubenjuri2011-04-25

輪廻を妨げることは生態系を崩す行為と同じくらい罪深いのではないかと思ったりします。宇宙の細胞の1コでしかないであろう個人がすべきことではないのだとも。
被災地でのお別れは、とても突然で、その挨拶さえ叶わないし、会えもしない皆さんが多いと知った時、儀式をしてお送りできることの大事さを知ります。
先人は、初七日からずっと数えて段階を徐に踏み続け、四十九日かけて、本当のお送りの気持ちを整え、故人を次の高みへと見送り、そうされることで、故人も安心してステージを上げていけるとする厳かな儀式を以て、輪廻への歩を進めていくのでしょう。
どんなに献身的につきっきりに納得のいくまで看て差し上げても、遺された者は、後悔をします。ましてや、被災地の多くの皆様のようなお別れであれば、遺された皆様の気持ちは、もう、本当に、計り知れません。


兄の顔を無言で無表情で見下ろす私の姿を見て、元カノのお母様が、ハッと息を吸って「似てらっしゃるのね。」と、驚きました。私はあわてて向き直り、「お嬢様を幸せにして差し上げられない不甲斐ない兄で、申し訳ありませんでした。」と、謝罪しました。
涅ている顔を「カッコイイね」と耳元でささやきながら拭きました。
バックスタイルの佇まいが、生き写し・・・。」と、元カノが背後でつぶやきました。
半同棲の高層マンションは大勢の猫の為の住まいで、形見の時計や鞄などの小物を、選ばせてもらいました。
全て、儀式の一環でした。
極端な納得をしようと勘違いしてしまうほど、したたかなフリを、故人にまでアピールしていました。魂は、急いだかもしれないほどに。
突然な別れは、私をどんな風にするかというと、例えば、夕方の中途半端に最近の再放送のドラマがTV画面から目の中に飛び込んでくると、「この時は生きていた」と。
だから、ゴールデンタイムのリアルタイムしか、観たくはない日々が何年も続きます。でも、荒療治で、再放送を観ました。
それでも、私の夢には、パパも兄も、登場しないのです。
それは、故人にとっては有り難いのだと思いますし、見守りたいママや姉のところにだけ、ごく、たまに、行けばよいということなのでしょう。
特に兄は、次のステージに行くのにペースを多少緩やかに進まなければならないのでしょうし、努めて遺された者が、執着を取り除かなければならないのではないかと思う次第です。


被災地の皆様の様々な状況や心の在りようをお察ししてみようとすると、序盤で、背がピンポイントで鈍痛。A面とB面で締め付けられているのでしょう。


儀式とは、遺された者にも、逝く者にも、大事なのだと思います。