art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

キミの骨格を確かめる

rubenjuri2009-01-08

「神経質を通り越して、神経症だろうね。」
若い頃、姉にそう言われました。やみくもに手を洗っている時に。同じ部屋に居た事もあったから、折に触れてそう思っていたのでしょう。
「juriの身体の洗い方ったら、それは丁寧で隅々までだったよ。」
これは、高校時代の親友Kが、自分の姉に風呂上がりに報告していたセリフです。
報告されるほど、そんなに、自分とは、己の分泌物を嫌いなのか。
そう。
汚れに対してというより、自分に対してだと、薄々、気づく。
だから逆に、免疫がない。
そして、今までの、全て、細かく、原因が、ハッキリわかる。
例えば、
そういう自分を少しだけでも隠したいから、恋人の前で少しだけガサツに振る舞った。
こうなってしまった理由の説明は、巧く、出来ません。
近くで話せるって事は、触れられるって事は、随分、心を許している相手だと、いう事で、信頼しています。
女性も男性も。

此処での昔の日記を読み返すと、あの症状についても、症状だとは気づかずに、色々、自分なりに分析してみたりしていて、笑い話みたいに、頑張っておどけながら嘆いてみたりしていました。

その理由がわかっていると、もし、薬が前のように効かなかった場合の理由についても、なんとなく、解るような気がします。



兄が生きていれば今日で50歳。いいえ、45歳のままなのですが。
パパ方の叔父に贈り物をし、「届いたよ」と留守録アリ。キーラーゴ労働中にて。
叔父はママが面倒を見ていた頃があり、叔父というより、一番上の兄。
「姉さん(ママ)に言えないし、言ったらならないけど、あの赤ん坊(juri)は育たない。そんな気がしてならないんだ。骨が透き通っているじゃないか。姉さんが可哀想だ。あの赤ん坊が居なくなったら、姉さんを支えてやらないと。」
まぁ、その予感は見事にハズレたけれど、パパが逝った時に、私は叔父から電話で同じセリフを聞いた。
「仕事が忙しいよ、帰れない。姉さんを支えてやってくれ。」
「はぁい。」
ナマ返事。強い女を支える器が俺様にあるかよ。
みたいな。
今日、ママは、何度も電話をかけて寄越しては言った。
「あの子(叔父)の気持ちや強さを知っているのは私だけ。パパにもおじいちゃんにも解らない事を私だけが知っている。まして、アンタに解る訳がない。心配しなさんな。あの子は大丈夫。」
あー、わかった、わかったから、眠らせてくれ。


業と罪。
なにかと深いけれど、
責めているのじゃない。
みんな、愛してるよ。