art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

カジ先生へ

rubenjuri2008-09-03

 先生が疎開で此処へ来た時から、決まっていたことなのでしょうか。
 此処で創人たちと会い、展開される全てのこと。
 創るってことを、いろんな角度から、勉強しています。
 様々な演繹と帰納
 姿勢。
 創る態度も、それぞれで。
 先生が居なくなってから出逢った人が、最近、先生に会いに行きました。
 話したのでしょうか。
 先生が、「何かやれ!」って、言ってから、その意味がわかるまで何年もかかった。
 今も、創るっていう場所に居ながら、創ることを足踏みしている状態です。
 何故、出来なくなったか。
 先生と入れ替わるように出逢った、先生くらい大きな存在が、「絶対自分で創るべきだ」と、言ったからかもしれません。
 でも、先生に言われたから、創った。
 だから、きっと、長くかかっても、また、自分で創れるような気がします。
 先生に会いに行ったって聞いた時、今までで一番幸せだったような気がします。
 怖いモノなんか何もなくなり、何歩も前進した感覚で。
 いろんな意味で、もう、大丈夫だ、なんて、思ったり。そこからの毎日は、強くなれたかもしれません。
 勘違いですが。強くは、決して、ないのですが。
 第一作目、『鉄腕夫婦』のエンドロールで、“題字/東山嘉事”とクレジットが流れた時の、場内の「おお...」っていうどよめきを、私は忘れられません。
 「よく頑張ったな。皆も、一生懸命に助けてくれたな。」って、ハガキが先生から届いて、先生を長く待たせたけれど、皆さんのお陰で創れたって、感謝しました。
 「まじめに歌うな!いつ聴いてもおんなじや!」って、ライブの時も、よく怒られました。
 「コイツは固いんや。こんな風貌のくせに、中身は全然違うんや。アカン。」
 これを大勢の前で言われた時には、泣いてしまいました。子供でした。
 それなのに、『鉄腕夫婦』のことをFMで告知してくれた時は、「juriという危うい作家による...」って、言いました。
 「コイツは、ガリガリに見えて、脱ぐと柔らかいで。ビックリしたわ。」
 これを大勢の前で発表された時は、違う意味で泣きそうでした。子供でした。
 先生がいなくなって不抜けたコトになっていたら、craraさんにキツク抱きしめられて、やっと泣くことができました。
 これも、craraさんに呼び戻してもらって、かなり時間をかけて居ない世界に戻って来たら、その人に出逢いました。
 様々な演繹と帰納
 姿勢。
 態度。
 こんな風に創る人もいるんだ。
 まだ、待たせますけれど。
 灼熱にスコール....。
 先生、私も、会いたい。