画像はセガレと食べたmisaちゃん作“友チョコ”です。
ラングドシャっぽくって激旨でした。
本命じゃないのにみんなイチコロだったんじゃね?
juriです、こんばんは。
やること山積みなのにあっちゅー間に3月です。
松江市で職があるかを何故か調べてみちゃってます。
甥が結婚するって頃にもうそりゃあめっきり大人も大人のjuriってのは、去年の初夏かね、抉られた歪な春を思い起こしてだ、いや、遣り過ごしてただけの幼い育たない己をだ、まー、思春期にやっちまってたらよかったんじゃね?みたいなことをやったんだけどね。
ママは大人だったよ。
電話を切って。
またかけてきて。
「この話はやめよう。」
って。
子育て終わりかけに「出来てもいっか」っつって生まれただろ、いや、生んだんだよな、その理屈なら。だから、そんな盛りの母親の狂気とは、連れ合いの所為だからね、それはお察しするがね。
たまったもんじゃねんだよ。
愛してるものでね。
日々の息遣いの中からもあなたの残念さを思うよ。
それは主観ではそうでもない。
娘の客観が全てじゃない。
私はセガレとのこの彩を噛み締めていく。
あなたとは違うんだね。
お湯が沸いたらセガレがお茶を作る。
それは息だ。
息なんだよママ。
お風呂が湧いたらjuriが止める。
信頼とは息なんだよ。
それが自然に一切ないのがすごい。
ごく自然に。
皆無。
すごいね。
ほめてないぜ。