プラハのユダヤ人、フランツ・カフカを研究し始めたのは、当時は共感したからだ。しかしそれは何処かへの過程だったか。
それにしてもこんなにも時間がかかるのか。
その答えは
多分
親になっておかなければならない
とか
それだけではない
様々な。
アンネフランクに触れることは、進学した大学の一般教養過程やその後の研究の性質上、ほんの少しではあるが、ある。
しかし
掘り下げることなどはなかった。
いや
避けた。
・・・なんとでも言えるか。
アンネは作家だったのだろう。
読み手を意識して隠れ家で籠りきりで日記を記していたのだから。
この歳になっても未だ
Blue sky complex なのは
苦にならないまでも
アクティブに外出するということに憧れが。
しかし
課題はどうだ
居ることか
出ることか
作る。