art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

表現のあと

或る個に煩悶し悶絶する、別の個。

由とする、又、別の個。

猛省が勝つ。

その群衆とは全て己。

 

 

今でもそうであるのに

いわんやあの頃をや。

 

 

Ryancの我がマネージャーのように、Ryancファンの皆さんを、おひとり、おひとり、親身に目を見て大切にする姿勢を身につけよう。

あの頃は、私がそれをするべきであった。

 

 

今日は。

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少しだけ遠目にこの一輪と対話し手を合わせ、西方浄土に深くお辞儀をした。

目を見てお話したかった。

ありがとうございました。

精進致します。

 

 

周りの人々が許し続けて今がある。

宇宙が言った。

「謙虚に」

きみ子先生はあの頃の若い私に説いた。

「優しく。それでも優しく。」

 

 

何故わからない。

今日という今日は、終始、猛省していた。

 

 

閉店後に出かけた先で幼馴染から連絡が来て、とても救われた。

週末に会えるかも知れない。

東京から再来店の知らせ。

最高の朗報だ。

 

 

会える人には会いたいと思ったら会おう。

 

 

ピンクのみなさん連れて帰ろう。

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出西ブラウンに映える。
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私という群衆が色鉛筆のようにとりどりに尖っていた。

フーシャピンクを身に纏いたい。

アカショウビンのようにグラデーションに。

イソヒヨみたいに赤茶と青も。

私という群衆が研磨していた。

センターに聳える黒鉛筆を。

ひとりだけを研磨するのは世話かいじめか。

どちらでもない。

正解を知り、説いているのだ。

気づいて、若さを悔いているのだ。

だから速やかに若気とやらを研磨している。

 

 

いじらしい水仙が、ひとりでもこちらを向く。

群れていても1列にこちらを向く。

ママを慕う水仙

 

 

ありがとう。

教えてくれて。

説いてくれて。

 

 

今は、ただ、手を合わせるだけです。