懐かしい作家仲間が2人来店。
かるとん吉田・タケモリチエコ両女史。
嘉事氏を交えて、何時間も四方山話。
過去を振り返らない性分でも、フラッシュで撮りたい衝動が沸き起こるのは俯瞰で「撮りたいなぁ、うん、うん。わかる。」と、そこに置く。フラッシュだからすぐに消える衝動でもあるのだし。
「それはそれ。」
「作品として在るモノを、一度だけ発表して終わったそれを、今、出したら凄いと思う。それも思うし、あの時代だとしても、例えば東京に珠里ちゃんが居たら、それもそれで違っていたと思う。」
女流作家3人、何時間も語らった最後にはいつも私の映画の話になる。
どんなに違う話をしていてもだ。
当の本人は映画という過去を忘れていたりするから、新鮮な気持ちになる。
メガホンを取っていたのは、ほんの4・5年。
賞を取った恩返しに、数年のブランクを経て、1本追加。
映画で言いたいことは全て言った。
フラッシュで来る衝動は、それだけでしかない。
「でも作品は在る。」
造形のふたりの見解は斬新だな。
一理有ろうな。
そう考えると私はやはり音楽的なのだろうな。
形があり、形がない。
瞬間の表現。
だからこそ音源を残すことも必要で、映画も、作品として残せるものだったという、折衷モノだったのだろう。
だとしたら、私の役割はやはり残すことを率先するということなのだろう。
かるとん・竹森両女史、会いに来てくれてありがとう。
嘉事さん、今日もありがとう。
オープンして本当によかった。
今日も今日とて感慨無量。