art-P capsule

フリーMC。2004年から映画とロックを作っています。ジャンルレスボーカルや表現を生業としている日々を記しています。2004年12月より毎日更新。

LR

rubenjuri2011-04-21

ママがセガレの誕プレ荷物ん中に詰めてきてくれる中の島根和牛2枚は、ステーキにするにはフライパンにもお皿にも収まらないデカさなので、いつだって1枚を半分にしてわけわけします。
で、2枚目を。


昨日のは或る意味では言い訳だろうか。
全部キレイに忘れていることへの。
ただ、ただ、ちびちびの頃から、この濃厚なひとときに至福を感じた。
延長線上に、カフカが居たのだ。
卒論を提出するまでの時間と折り返してからの今までとで抱き合わせ、そして、進んでみたい。
反芻作業はできているのだろうか。
また、今後、できるのだろうか。
スピードは違うからな。
感覚は永遠だ。
現身と一体になっている。
右脳が努めて左脳との糊面に使用す。
往復したのだ。
社会に出て、復路を一旦、戻ったのだ。
離さないよ、一部なのさ。
一部?
半分じゃなくて?
だとしたら。
もうしばらく、感覚に見守られつつ、行かないとならないのかな。
それとも。
自覚としては一部でも、実は、半分なのだろうか。
どちらでもいいのに。
もう、スクリーンに見えているのは・・・。