青空美術場にヤブウチマコト氏を誘って嘉事氏とチビの頃のセガレと4人でライブをしたことがあったが、映画の処女作を撮り始めるより1年くらい前だったかと思うので、2003年だろうか。
それがヤブウチマコト氏との最後のライブではなく、その後、映画に出てもらったり、映画を携えて上映とライブとをふたりで演ったり、貴重な体験をたくさんしました。
全部私が企画して彼を誘っているのですが。
企画力のない私が、彼在りきなら企画出来るということだったのだと、この度改めて思い返し気付きました。
さてそのライブはセガレの夏休み中に演ったこともあり、小学校の夏休みの研究の題材になり、その模様を写真に撮りレポートを添えて提出したので、それを近いうちに探してヤブウチマコト氏の姿を見たいと思ったりしていますが。
でも手っ取り早くヤブウチマコト氏の姿を見たいので此処を遡ったりもしてたら。
見つけたのですが当時の画素がさぁ。
画素がねぇ。
シルエットすら定かじゃない感じ。
なのですが、どうやら3日間に渡り、ヤブウチマコトandともP、そして磯端氏のライブの余韻に浸っていた模様で、エモい内容の日記が出てきましたので添付します。
https://rubenjuri.hatenablog.com/entry/20060619
トラック8とか言ってるのは多分ですが磯端氏のCDのそれだと思うのです。
この日の前日投稿は磯端氏の画像で、その前の日投稿が当日なのだと思うのでございます。
私の投稿の割にはわかりやすい。
不思議な日々だが、貴重な思い出です。
嘉事氏が召された年だけど、時系列は思い出せない。でも追々、思い返そう。